課題 >> 7. 「親愛の情、現実性、コミュニケーション」 の記事の「コミュニケーション」のセクションを読んでください。

親愛の情、現実性、コミュニケーション

コミュニケーション

ARCの三角形の3番目の角であり、最も重要な角はコミュニケーションです。 人間関係において、これはこの宇宙の人間関係の構造を理解するにあたって、他のふたつの角よりも重要です。コミュニケーションはすべての物事に対する解決策であり、それはすべての物事を解消します。

人はどうやって互いにコミュニケーションを始めるのでしょう?

そこにコミュニケーションが存在するには、同意と親愛の情が存在しなければなりません。 そこに親愛の情が存在するには、現実性とコミュニケーションに関する同意が存在しなければなりません。 そこに現実性と同意が存在するには、親愛の情とコミュニケーションが存在しなければなりません。1、2、3です。 もし親愛の情を破壊したら、コミュニケーションと現実性は消えます。 もし現実性を破壊したら、コミュニケーションと親愛の情は消えます。 もしコミュニケーションを破壊したら、すべてが消えます。

コミュニケーション・ライン(ある人からもう一方の人へと流れるコミュニケーションの道筋)を妨げる方法はいくつかあります。 ひとつはコミュニケーションを切ってしまうことで、もうひとつはそれを受け手の方から切ってしまうような非常に不快なものにすることです。そしてもうひとつの方法は、そのラインが詰まって動かなくなるほど、そこにたくさんのものを乗せることです。 これらがコミュニケーション・ラインについて知るべき非常に重要な3つの事柄です。 また、そのコミュニケーションは、良いコミュニケーションでなければなりません。つまり、必要なデータが必要な方向に送られ、受け取られる、ということです。

ちなみに、コミュニケーションというのは、物質宇宙に関わる、親愛の情と現実性であると言えるでしょう。 議論というのは、親愛の情があるかないか、同意があるかないか、とりわけその同意が物質宇宙に関して同意されないものである場合に起こります。

さて、親愛の情は、たくさんの方法で築くことができます。 あなたは人々と話をして、彼らとの間で親愛の情を築くことができます。 しかし、これはコミュニケーションです。ただのおしゃべりではありません。 コミュニケートする方法はたくさん、たくさんあります。 ふたりの人間は、座って、お互いを見て、コミュニケーションを取ることができます。 コミュニケーションを始める方法のひとつに、触ること(触覚)によるものがあります。 あなたが猫を飼っているとして、猫が突然のどを鳴らし始めたとします。あなたは猫とコミュニケーションを取っていることになります。 あなたは手を伸ばして、ある人と握手をします。あなたは彼とコミュニケーションを取っているのです。なぜなら触覚が生じたからです。 「本当のところ、誰もが誰をも憎んでいて、誰もが防御に回っており、それゆえ我々は誰をも強制的に社会的動物にしなければならないのだ」といった死に物狂いの考えを持つ保守主義の輩がいます。彼らはこう言いました。「人々が握手をする理由は、手に武器を持っていないということを示すためである。」 それは違います。ひとつのコミュニケーションなのです。 フランス、イタリア、スペイン、その他の国々では、あちこちで人々が互いに抱き合います。たくさんの接触があります。その接触がコミュニケーションなのです。

ARCの三角形のひとつの角が消え去ると、他の角もまた消え失せます。 ここに、ひとりの子供が快活に自分の母親に近寄り、花をあげようとしています。

家事に没頭している母親は、子供のコミュニケーションを無視します。そのコミュニケーションは払いのけられ、その後すぐに親愛の情と現実性は低くなります。

ひどくコミュニケーションに乏しい人がいて、あなたが手を伸ばして肩を叩き、彼がわずかに身をかわすのであれば(彼はすべてが辛いと考えているのです)、彼がそのようにし続けなくても、彼の口頭のコミュニケーションは乏しいということにあなたは気付くでしょう。あなたは彼に何かを言おうとします。 「ねえ、プロジェクト342Aは、かなり良いプロジェクトだと思いますよ。だから、これを進めていくべきだと思います。」 彼はそこに座っていて、あなたを見てうなずき、それから下に行ってプロジェクト36を完了させるでしょう。

あなたはこう言います。「プロジェクト36は放棄されたばかりだよ。 僕たちは、あれについては何もしないことにしたんだ。」しかし、あなたが彼に話し掛けているのだということが、彼にはほとんどわからないのです。 彼は、あなたが何を言っても避けるんです。 あるいは、彼はあなたに猛烈に延々と話し続けて、あなたにプロジェクト342Aをやりたいと言う隙を与えないかもしれません。 これもまた、あなたを避けていることになります。つまり、彼はあなたとのコミュニケーションを取っていないのです。 したがって、彼の親愛の情は低く、あなたに同意しようともしないでしょう。 しかし、あなたが彼に同意させることができれば、コミュニケーションが回復し、親愛の情が回復します。

これは、対人関係の分野において、これまでに発見された最も重要なデータのひとつです。

あるプロジェクトで働いている人々のグループを取り上げ、現場監督とその人々を見てみると、そこにいる人々がお互いにコミュニケーションを取り合っているかどうかがわかります。 もしそうでないのなら、彼らは調和の取れたチームとして働いてはいません。彼らがコミュニケーションを取っていないのは、もしかすると、自分たちがやっていることに同意していないからかもしれません。

あなたがすべきことはただグループを取り上げ、彼らを集め、こう言うんです。「君たちは、何をしているんだい?」 現場監督に尋ねるのではなく、グループ全員と現場監督に尋ねるんです。「君たちは何をしているの?」

ある人が言います。「俺は週に40ドル稼いでいるよ。 それが俺のやってることさ。」別の人が言います。「まぁ、俺は毎日家から出られるのがうれしくってね。 女房がえらくうるさくてさ。」 別の人が言います。「まぁ、実のところ、俺は時々あそこでトラックを運転できるんだよな。トラックの運転が好きなんだ。トラックが運転できるんなら他のことには我慢するさ。 俺はトラックを運転する。ま、とにかく働かなきゃならないからね。」 もうひとりの人は、仮に正直だったら、こう言うかもしれません。「ここにいる現場監督、このダメ親父が大嫌いなもんで、俺はこの仕事を続けてるんだ。 奴を惨めにするために一生を捧げられるんなら、いやぁもう、うれしくなるぜ。」

そして、あなたはずっと、その人たちは自分たちが道路の地ならしをしているんだと考えている、と思っていました。彼らの誰ひとりとして、自分たちが道路の地ならしをしているとは考えていませんでした。 あなたは彼らが道路の建設をしていると思っていました。 彼らの誰ひとりとして道路を建設してなどいませんでした。彼らの誰ひとりとして、地ならしさえしていなかったのです。

この一団は不幸で無能な人たちかもしれませんが、あなたは彼らを集めてこう言います。「まぁ、いいかい。いつかたくさんの車がこの道路の上を走るんだ。 時には、事故を起こしたりなんかもするかもしれないな。でもたくさんの車がこの道路の上を通るんだ。 そして君たちは道路を建設している。 これはえらく厳しい仕事だが、誰かがやらなきゃならない。 この道路を建設したことで大勢の人が君たちに感謝するだろう。 君たちはそんなことを全く気にしないのは知っている。でもそれが、俺たちが実際にここでやっていることなんだ。 さて、どうやったら俺たちがこの道路をもう少しうまく建設できるか、君たちから少し提案が欲しいんだ。」 気付くと、一団の全員が道路を建設しています。 親愛の情、現実性、コミュニケーションが一気に上昇します。

解決したり落ち着かせたりするもの。問題や状況などを解消できる力を持つもの。

路面を水平にならす作業。